Incentive for Innovation

報酬からInnovationを考える

 Innovationを起こすとは、最終的には個人に帰結する問題です。それを交渉理論のフレームワークを用いて、制度的に促そうとするのがこの分野です。Innovationを促したとしても起こせるかどうかは定かではありませんが、「Innovationを起こそうとしたら損」というような状況と比べると天と地の差があるでしょう。

契約理論とInnovation

 契約理論は、Oliver HartとBegnt Hormstromが「契約理論への貢献(Contribution to Contract theory)」という理由で2016年のノーベル経済学賞の受賞をしたことから、ちまたでもそれなりの知名度がある研究分野となりました。契約理論は主に以下の3つのことを研究対象としています。

 この契約理論がどうInnovationと結びつくかというと、タイトルにもある"インセンティブ"です。契約理論は高い生産性を実現するためには、最適な契約設計が必要であるという立場をとります。しかし最適契約といっても、生産する財は仕事内容で変わります。すべての仕事に万能な報酬制度は2017年現在報告されていません。そこで、仕事の中でも「革新的・創造的な仕事」は、どのような報酬制度が最適なのかということに焦点を当てたのがこの領域です。創造的・革新的仕事を望まれる人は現代では少なくありません。まず思いつくのは研究者でしょう。続いて芸術家もそうですし、起業家や企業の経営者、プログラマーも創造的・革新的であることが望まれるでしょう。

 一つ契約理論の立場から言説を論ずれば、"「高い年収であれば、よい仕事をしてもらえる」というのは誤りです。「低い年収であれば、優秀な人材が来ない」だけであり、「適切なインセンティブ設計がよい仕事を促す」のです"。

成果主義か固定給かそれとも・・・

 インセンティブと聞くと「成果主義」という単語が頭に浮かんでくることでしょう。そしてそれに対立する制度として「固定給制度」があります。さて、どちらがInnovativeな仕事を促す報酬制度でしょうか。

 2017年現在の結論はとても面白くないもので、「モデルと視座によって変わる」となります。しかしこれではあまりに残念なので、一つの論文Manso(2011)"Motivating Innovation"の結論を紹介しましょう。結論は以下の通りです。

The optimal innovation-motivating incentives schemes exhibits substatial tolerance (or even reward) for early failure and reward for long-term success.

Manso(2011)

 元々契約理論のインセンティブ設計では、pay for peformance(以下; p-f-p)が生産性を高めるとしていました。それに対立したのが心理学でp-f-pにすることによりInnovationが抑制されることを示しました。そこで契約理論もHolmstrom(1989)などで「単純作業ではp-f-pが生産性を高めるが、革新的・創造的な仕事では失敗を許容し業績連動幅を狭めることで生産性が高まる」という論を展開したという流れで現在に至っています。

 その中、いわば「修正p-f-p」(原文ではexploration incentive scheme)と呼べるこの報酬制度が理論化され、実証もされています(Ederer and Manso 2013)。

 「これは当然だ。2011年よりずっと前に知ってる」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし理論化することに意味があるのです。現在でもこの報酬制度は実現されていません。経営者の報酬などは特にそれが顕著で、いわゆる「Stock Option」は完全なp-f-pです。現代にいかに短期志向がはびこっているかの示唆ともなっているでしょう。

 このモデルに関して特に注意しておかねばならないのは、金銭的報酬に限定していることです。前述したように適切なインセンティブ設計がよい仕事を促します。インセンティブとは金銭的報酬によるものだけではないということは、今後とも研究されていくトピックでしょう。

その他代表的なモデル

 ほかにも様々な観点からInnovationを促す報酬制度が研究されています。

たとえばManso(2011)では「修正p-f-p」以外にも、解雇の脅威とInnovationについても言及しゴールデンパラシュートの重要性を説きました。またInnovationの問題を既存の方法の利用(exploitation)と冒険的行動(exploration)のマルチタスキング問題であると考え、努力をどちらに傾けるかという観点からの理論もあります(Hellman(2007),Hellman and Tirole(2009))。

 不完備契約理論のフレームワークではInnovationは予測不可能で効果が計り知れないという観点から、適切な所有権の割当(allocation)がInnovationを促進させるという立場をとっています(Aghion and Tirole(1994))。

今後の発展

 今後の発展に関して考察すると、前述した「インセンティブは金銭的報酬のみによるものではない」という点がまず挙げられます。研究者も金銭的報酬だけではなく、「学術界で認められる」ということ自体がモチベーションになっていることは想像に難くありません。

 また、研究費の予算配分問題も考えられます。そもそも研究費は「平等に」割り当てられるべきなのか、業績に応じて「公平に」割り当てられるべきなのか。趣味としての学問が息を引き取り、国の保護下におかれた現状大きなテーマです。

 最後に、これはもう一つの研究分野である文化経済学と重なりますが、芸術家に関するインセンティブの研究蓄積が現状ありません。芸術作品という一点物で、標準化できず、費用(労働力)がかかる芸術家はどのようなインセンティブが適しているのか、今後の研究に期待が高まります。

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参考文献

 この研究分野に関して日本語では「イノベーションを促す経営」という抽象的なテーマで、抽象的な事柄(たとえば経営者は研究者を安心させるように振る舞うべきなど)しか見つからず、契約理論からのアプローチは管見の限り見当たりませんでした。